入社3週間経過

やっと仕事と疲労が少し落ち着いた気がするので、ちょっと振り返りと今のお気持ちを。

窓を開けていると虫が入ってくる季節になりましたね。

今日の夜は気持ちがいい、酒が飲みたい、キリッとしたハイボール

 

1週目:インプット

2週目:インプット+整理

3週目:整理+営業同行①

 

入社後の3週間はこんな感じ。

1,2週目で新社会人・新R人材としての研修と、まなび事業の全体と、自分の仕事に関するインプットを鬼のように。正直キツかった、、、3週目に入りついに営業動向をしています。

 

思ってたんとちゃう。というのは仕事のできる時間。

さすが上場企業といったところでしょうか、仕事ができない。平日22-5時と休日は社用パソコンが開けない。勤務時間ではなく、PCを開いた時間まで、ログが取られる。厳しい。情報は外部デバイスに移せないので、仕事ができない。俺はPCを開いて復習とか色々考えたりとか、したい。けどできない。

時間制限は勤務時間内で終わらせる効率性を求めてくる。提出日の前日の夜に酒飲みながら徹夜でレポートをやる、みたいなダラダラマイペースができない。いいこと。でも、ちょっと仕事から離れたくない。

休日は貴重。ほぼ2年間の長期休暇の後となると、7分の2に減った休日はより貴重に感じる。せっかく仕事から解放させられるし、休日の質高めたい。休息、完全に仕事から離れる娯楽時間、本業以外での生産性の高い時間。仕事以外の残タスク。これ2日でやらなきゃいけないからね。制限されているからこそ、質が高まる。

仕事は楽しい。私服で毎日出勤しています。対面の方が楽しいし頑張れるでしょ、って上長の方針。よき。でも通勤時間はマジで無駄。22時までしかPC開けないのに、毎日2時間も通勤で取られる、要らん。

あと、華金は凄い。まじで酒が飲みたいし、飲まないと後悔する。あの達成感×酒は何事にも代え難い。気持ちいい。それと、同期が良い。ビジネス面で格別優れているという訳でもないし、ビジネスの小難しい話をしているかといえばそうではないが、全員が卒業前提だから自分らの将来や社会の課題に対する熱意が強い。みんなでアツくしっぽり酒が飲める。アツい。この会社のいろんな人と「華金」したい。

Rは人材輩出企業とか成長できる環境とかいろいろ言われているが、「おせっかい」が上手い会社だと思う。この会社の見方の切り口は多様に存在するが、ある見方では、自己成長するためのツールと、自走できるようになってからの助長環境を提供してくれる会社とも見れるだろう。人財を科学している。(メタ認知と他者理解を最近よくやらされてる。)それと、承認文化がマジで強い、親のよう。一歩を踏み出す抵抗感があの場ではなくなってしまう。社内が若いので、表彰式は文化祭のよう。受賞者がピカチュウに扮していたのは流石に驚いた。本来人間各々が持つ(通常は「変」と捉えられるような)「素」をなーんも気にせず出していて、かつ共存できる許容力と人間性、仕事でも価値発揮の無駄がない。楽しかった男子校生活と同じ感じ。採用のスクリーニング力。一方で、この環境が特異であることを忘れてしまうのが怖い。

Rでは何故か、テンションが高い人間が上に立っていることが多い。当然、ガチの時は怖いくらいガチになるんだろうけど。なんだろう、まだ言語化できない、共通点がある気がする。なんなんだろう。俺もなれるのかな。なろうとするのは間違いなのかな。かっこつけてないんだよなぁ、究極の素、子供のように真っ直ぐで、あっつあつの熱意。伝播力?あとは周囲への愛。言語化難しいなぁ

熱意という点では、僕はこの会社でこの事業に配属されて良かった。俺が、この人たちのこの課題を解決するんだ。熱意の根源は人それぞれだけど、仕事への意味づけの仕方も人それぞれだけど、自分の課題観と仕事が一致した時の気持ちよさは半端ない。まだまだ小さい世界だけど、この世界を良くしている、という感覚。自分の価値発揮の世界をもっともっと広げたい。この気持ちが強くなった時、一体俺はどんな生き方を選ぶんだろう。そんなことを考えながら、RINGの起案に着手しかけています。

Rの営業同行をさせていただいて、思ったことがある。今まで叔父と叔父の会社の人、叔父の取引先の営業同行にしか行ったことがなく、そこでは感じることができなかった。営業は当然、会話なのだが、営業の会話は役者のアドリブとよく似ている。役者は「自他の役」や「世界観」、「セリフ」を自分ごと化して本能化した時に初めて、上手なアドリブができると思う。同様に営業も、「自分と相手の状況」や「そこにある課題」、「自社のサービス・商品」を完全に理解し、当事者として本能化できた時に初めて、良い営業ができると思った。

さて、最近強く刺激を受けたことを共有。以前、自分が人に興味がないという記事を書いた記憶があります。(ちょっと見てくる)

tsutsublog.hatenablog.jp

これですね。いやぁ良い。これこそブログを書く価値。あの時の自分からのアップデート。

自分が他者に対して興味がなかったのは、他者と関わる中で自分しか見ていなかったからだとと思った。言語化すると非常に「そりゃそう」に聞こえるのだが、、、

他者と関わる時に、常に自分と相手とを対比させていた。例えば、相手の話を聞く時に、「自分だったらどうするか」「自分はこう思う」が頭の中にあり、それと相手の話を対比させて、結局は自分を見ていた。これは、相手の話を聞いているのではなく、相手の話を聞きながら自分を見ているのと同義だと思う。それだけ「自分がどうか」に興味があって、結果として相手の話を全部は聞いてないし、他者理解などほとんどしていなかったのだと思う。

このように「自分は相手そのものを理解しようとしていなかった」と感じると、途端に悔しくなって相手の話を聞きたいと思う。てっきり相手のことを理解した気になっていたのに、実際は自分のことしか見ていなかったのである。真の他者理解をするためには、自分を「度外視」する必要があって、これがかなり難しい。同情したり相手の立場になったりするのではなく、相手と自分を切り離して=対象化して、相手が今何を考えているのか、その背景には何があるのかを、理解する。今練習中です。この「自分を見る」眼鏡と、対象化して「相手を見る」眼鏡を使い分けられるようになりたい。

 

以上!