思考の深掘り

日常生活における小さな疑問や違和感って誰しもがあると思います。これまでなら自分は3歩で忘れたり、ツイートしたり、浅く適当な仮説のみで自己完結したりと、その感覚を無下に扱っていました。

しかし記事やニュースを見てその忘れた感覚と再会することはザラにあります。しかも何か敗北感のような感情を持ちながら。こんなことを思わされるのは、自分と同じ疑問や違和感を持ち、それを深掘り、何か形にできるか/するかと思考し、トライアンドエラーを繰り返し、結果形にできる人が存在するということです。

ただ疑問や違和感を持つ人間と、それを深掘る人間には大きなレベルの差がある気がします。加えて、後者は疑問や違和感を持つ確率も高いと考えます。なぜなら深掘りの際に得られる知識は更なる興味のアンテナになるからです。深掘りを経験するほど事象だけでなくプロセスまで興味を持つことが可能になります。

社会に新しい価値が定着するのは、社会の人々が受け入れるからで、社会の人々が受け入れられるのは社会の人々が需要を感じていたから。社会の変化に大抵の人間は気づかず、時間が経過してから初めて気づく。社会に自然な変化をもたらす、つまり新しい価値を定着できる人間は、社会の人間の持つ潜在的な意識を深掘り言語化し形にできる人間。潜在的な意識は誰しもが持っているが、それを言語化できる人間は限られ、言語化から深掘りができる人間はさらに限られ、深掘りから語りにできる人間はさらに限られる。だからこそ社会の潜在意識を深掘る必要があり、その第一歩としてにまず自分の潜在意識を深ぼる必要があると考える。