人に興味がない件

2021.9.20.深夜

最近指摘された、「人へ興味がない」件について。

以前から自分は人に興味がないと思っていた。友達が少ないこともそこに起因していると考えたことが過去に多々ある。人がしていることにほとんど興味がないから、滅多に人に近況を聞いたこともなければ、人と会おうと思う事もない。たまたま会って話す機会があってもほとんどのことには興味がない。だから基本的には脳の半分は会話に使うが、もう半分は別のことを考えるのに使う。人に話聞いてないと言われることも多い。会話の中で興味がある部分を一人深ぼって考えている。

しかし、こんな自分でも興味を持てる人もいる。その人がどういう人か考える。自分の興味に近いこと(特にビジネス系の話題)に興味がある、抽象度の高い話が好き、論理的である、思考量が多い、出会ったことのないタイプで個性が強い、経歴が異常、自分の知らない知識/思考を持っている、何かのプロ、など?

基本的に①自分と思考回路と内容が似ているorその道で上手、②知らない人間タイプ、に興味を持つのかもしれない。①は自分にとって新しい思考、世界、知識、意見を提供してくれる。知的欲求を満たす、新たな世界への出会いがある、考えたり悩んだりする時に解決の端緒を生み出してくれる。②で人に興味を持つのは2つの要素があって、⑴その人がどのタイプか知りたいという短期的な興味⑵新しいタイプに出会いたい、な気がする

 

それはその人への興味なのか否か

あくまでその人自身ではなく、①は自分の知りたいこと、②はその人から一段階抽象化した人間のタイプに対して興味を持っている?それは果たして本当にその人自体に興味を持っていると言っていいのか?そもそも人間が他者に興味を持つことの本質はこれなのだろうか?人に興味を持っているってなんだ??

②に関して、自分は人間タイプを並列的に見ているみたい。「この人(具体)はあの人(具体)に似ている/同じタイプだ」要は、タイプを言語化できている訳ではないし、しようともしていなかったみたい。これからは人のタイプを言語化して抽象化する、またその人がそのタイプになった原因を知ることも、人のタイプを先読みする、あるいはそのタイプの人と上手く付き合っていくために必要なことだと感じた。

 

興味と愛は違うのかもしれない

興味を持つ人とはまた違ったカテゴリーで、愛を持つ人もいる。要は家族のような感覚。年齢の近い年上、同期、年下に持つことが多い気がする。その人が幸せになって欲しい、良い人生を送って欲しい、そのために自分も貢献できていたらいいなと思える存在。興味を持っていなくても、この人には幸せになって欲しいって人はいるんだよね。不思議。

 

そもそもなぜ興味を持つかを考えると、自分に似ているか自分と全く似ていないからな気がする。興味を持っている=好きではない。人に興味がないのは自分の属する社会に似たような人が多いから?単純に興味薄いか(笑)期待してないのかもしれない??ひでぇ奴だな

時々、愛を持っている人にもその愛が薄くなる瞬間はある、すぐ戻るけど。ネガティブな時や疲れている時はその傾向が強い気がする。自己中心的に考えたくなる瞬間なのかな?